人間の習性と愛に満ちた幸福な家族そして社会

野生の動物は、老いると餌の捕獲が難しくなり、天敵に襲われやすく、生きることが困難になります。まして自分で動けなくなると、即ち死であります。しかし、人間は、老いても不自由なく生きる事が出来、病気になっても生きる事が出来ます。この野生動物と人間の相違はどこから生じるのでしょうか。それは生き方の相違つまり、習性の相違によるのであります。動物は全て本能と習性という遺伝子に組み込まれた無意識の力によってコントロールされています。最近の生物学では、本能という言葉をあまり使用しなくなりました。それは、本能と言われている領域が、環境によって様変わりするからであります。 しかし、私は、性欲だけは本能であり、いかなる環境の中でも営まれる行動であると考えます。環境に応じて繁殖が制御されることもあるようですが、それこそが種の保存を本能的に無意識に制御し、営まれているからであると考えます。習性も本能と同じように遺伝子に組み込まれた無意識の力でありますが、習性は、学習することによって発揮され、学習の仕方によって多少異なって発揮されます。習性は普通、親から子へ伝えられます。

つまり、子は親の生き様を見て学習し、習性を発揮するのです。人間は、いつも愛を尊び、幸福を願います。愛の中に幸福があると信じるからでしょう。実はその愛も幸福も家族の中にあるのです。本能によって夫婦が誕生し、習性によって家族が形成されます。男女が本能によって引き寄せられ、結ばれることを恋愛と言います。恋愛から夫婦が誕生し、家族の核となります。母親が習性によって子を慈しむことを母性愛と言います。そして、父親を中心とした家族の人間関係を家族の絆とか家族愛と言います。こうして家族は強い絆によって結ばれ、お互いを守り慈しんでそこに幸福を見出す事が出来るのです。こうした強い絆が基になって、年老いた父母祖父母を大切に守る事が出来るのです。ところが、家族の事情によって、どうしても家族では守りきれない事態が生じることがあります。

 その時は、社会がその家族の意思を継いで弱い立場の人を守らねばなりません。そのような行動は草食動物が小さな子供を群れの真ん中に入れて天敵から守りますが、それと似ているような気がします。もしも社会の制度などの助けを借りて父母祖父母を守る手段を選択しなければならない時があっても、人間には家族を守る習性があることを忘れてはなりません。

 

人間には家族愛が習性として存在しますから、容易に父母祖父母に対する思いやりが自然と生まれてくるものです。そして、その勤めを果たすならば、自分の子もそれを見て、親に対してそうしなければならないものであることを知り、遺伝子に潜んでいる習性が家族愛となって芽生えるのです。そして自分が老いた時に、わが子に助け守られるのです。そうして人生を全うすることはこの上ない幸福な人生であるといえます。アスクレピオンは、そうした家族の絆を大切にする人にご利用いただき、そうした人々の幸福作りのお手伝いをすることを念願としています。